かけだし情報1215
- Hiroaki Ehara
- 2020年1月16日
- 読了時間: 4分
令和2年も2週間が過ぎました。今年もまだ始まったばかりなのに、時の過ぎる速さをもう感じています。本当は、ゆっくりした時間の流れを感じながら日々を過ごしたいのですが、時間泥棒に次々に時間を盗まれている気がします。
昨年末から鶏が狸の被害にあっています。畑にあるビニールハウスはこれから大根やカブ、春先に収穫する葉物野菜を育てるための場所です。ここに例年、田んぼから引き上げた合鴨を放していましたが、今年は合鴨を田んぼから引き上げることができず、代わりに鶏を入れていました。夏の間に雑草が生え、その後の台風などの大雨でしばらく水に浸かったいたために、鶏を入れるタイミングも遅れていました。雑草をハンマーモアで砕き、そこに鶏を入れることで、鶏たちが砕いた草を食べ、糞をし、足でかきわましてくれるので、チキントラクター(鶏トラクター)と呼んでいます。
ただ、今回は雑草はきれいに食べてくれたものの、水に浸かったあとの土が乾いて固くなり、鶏たちも耕すことができませんでした。一度、管理機で軽く耕してあげれば、その後に鶏たちが耕すのも容易になると思っていた矢先、狸が出没するようになりました。
最初は先月の30日、もうすぐ大みそかという日でした。その時も3羽ほどの鶏が狸の犠牲になりました。ちょうど鶏の異様な鳴き声が聞こえたのですぐに駆け付け、狸を追い払うときに木の棒で狸を叩きました。
前にもかけだし情報に書きましたが、狸はすぐに気絶し、死んだように見えるので狸寝入りという言葉が生まれたように、今回も棒が当たった瞬間に狸は死んだように動かなくなりました。
しかし、10秒もすると何事もなかったかのように復活し、入り口の扉を押し出すように逃げていきました。この時に狸と一緒に鶏も逃げ出していたようで、翌朝、ハウスの周りをウロウロしている鶏を数羽捕まえました。
そして今朝、ちょうどウーフで滞在しているフランス人のカップルに朝のエサやりをお願いしていて、彼らが犠牲になった鶏を2羽発見しました。多分、狸が来たのだと思います。ハウス自体も何か所か隙間があったり、入り口の扉が壊れているなどしていて、早く直さないと、と思っていた時でもあり、また、前回、狸も怖い思いをしただろうから、しばらくは来ない妥当という油断がありました。このままにしておくと、またすぐに狸が襲ってくるので、他の鶏がいる小屋に移すことにしました。
畑にはこのハウスと、育苗ハウス、そして小型のハウスが並んでいます。小型のハウスも2月になったらカブや小松菜などを育て始める予定で、ハウスの中には刈り取って乾いた状態の草がそのままになっています。ただ、この小型のハウスは天井部分のビニールをまだ張っていないので、鶏をそのまま放すことができません。そこで、木の枠を組み、金網を張った木枠があったので、それを使うことにしました。
草が多く残っているところに木枠を置き、そのなかに3羽の鶏を放しました。鶏が草を食べ、土を掘り返して耕してくれることを期待してです。ただ、狸がその気になれば木枠の下部分の土を掘り返すこともあるので、気を付ける必要はあります。2日ほどで木枠内はきれいになってしまうので、少しずつ場所を移動させながらの簡易チキントラクターとして活躍してもらうことにします。
今日は、さいたま市にある埼玉会館の会議室で、大平農園の401年目の四季という映画の上映会に行ってきました。主催者のかたから映画のあとで、有機の生産者として少しだけ話をしてほしいと頼まれたので、合鴨農法のお米、卵、少しの野菜を持参していきました。
この映画の主人公である大平農園は世田谷の中で有機農業を営む有機農業のパイオニアの一人です。日本で最初にビニールハウスを取り入れたのが大平農園で、日本中から視察がやってきたという農業をリードしてきた家族ですが、ハウス内に使った農薬が原因で現在の農園主のお父さんは亡くなります。農園を引き継ぐとき、農薬はやめ、化学肥料もやめる決心をし、有機農業を始めていきます。そして、生産者と消費者がお互いに支えあう「提携」という仕組みを取り入れ、世田谷の真ん中で農地を守りながら現在も提携を続けている家族の物語です。
この大平農園はだいぶ前に一度訪ねたことがあります。閑静な住宅街のなかで、欅の大木に囲まれた屋敷と農園には多くの人や鳥、生き物が同居している心地よい空間を作っていました。心地よい空間は有機農業が作り出すものだと感じた場所でした。
Comments