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​ガバレ農場(ひろば)って?

農場と書いてひろばと読ませる。この無理なネーミングには訳がありま「ガバレ」はアフリカはエチオピアの言葉で百姓という意味です
 

1989年から1991年にかけて私たちは、JVC(日本国際ボランティアセンター)というNGOのスタッフとしてエチオピアで生活していました。度重なる干ばつと内戦のために疲弊しきった農村を何とか復興させるため、エチオピア人のスタッフや地元の農民たちとともに、植林や水場の整備を柱に農業教育や母子保健教育などのプロジェクトを進めていました。

エチオピアの農民の暮らしは、とても厳しいものです。干ばつともなれば、人々は食事の回数を減らし、食べる量を減らして次の収穫期を待たなければなりません。しかし、彼らの暮らしぶり、生活の仕方はとても豊かなものでした。彼らは何でも自分たちでつくることができます。家も寝床も布も食器も・・・。私たちがゴミとして捨ててしまったビンや空き缶、カレンダーの紙に読み古した雑誌、なにからなにまで、いつの間にか村の中で活用されていました。そこには日本人が無くしてしまった「生活」の原点がありました。ゴミに埋もれ、自分たちが食べるものも、着るものもどこからどうしてやってきたか知りようもない日本の生活は、それ故に多くの問題と危険をはらんでいるのだということが、エチオピアの農村の人々の生活をみる中ではっきりと見えてきたのです。

食料の自給率が40%と言われ、流通が複雑化した現在の日本では、自分の口に入るものの素性を確かめることさえ容易ではありません。遠い外国から運ばれてくる食べ物は、たくさんの農薬がかけられ、膨大な燃料を使って世界中から運ばれてきます。外国向けの単一作物の栽培を続ける現地の環境は、アメリカでの土壌流出・地下水位の低下、熱帯雨林の破壊等、確実に悪化しています。同時に日本の農地はどんどん縮小され、山村では山に還り、町では宅地となって様々な環境問題・社会問題を引き起こしています。

エチオピアの農村に引けを取らない、日本の農山村の豊かな文化・生活の知恵はどんどん忘れ去られています。
私たちの子供が大人になったときに、思い出す子供時代が、テレビやファミコンばかりでなく、海や川や田や畑、レンゲやメダカやドジョウ・カブトムシやミミズだったりしてほしいのです。子供たちに安心して食べさせられる食物と、安心して育っていける環境と豊かな思い出を残してあげたくて、私たちは有機農業を始めました。私たちの考える有機農業は、単に農業の技術というだけでなく、現代の生活様式を見直す一つの象徴です。規格化・画一化された商品よりも、一本の蔓にいろいろな大きさや形の芋ができることを、曲がったキュウリも二股の大根も、みんな等しく大地の恵みであることを、もう一度みんなが思い出せるような農業活動を進めていきたいと思っています。

 

世界中で古くから伝えられてきた農村の生活は、とても持続的なものでした。20世紀後半の合成化学物質に依存した農業は世界中の持続的な生活の仕方を破壊してきました。本当の意味で豊かな生活をつくっていくのは自然と共存する方法を知っている世界中のガバレ=百姓に他ならないと思い、私たちの農場の名前としました。

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